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『剣遊記\』

第三章 南から来た大海賊。

     (9)

 未来亭の三階。三百二十一号室。

 

 孝治、友美、涼子の三人は、天才魔術師こと天籟寺美奈子{てんらいじ みなこ}と、その愛弟子である双子姉妹――高塔千秋{たかとう ちあき}と千夏{ちなつ}が住んでいる部屋の前にいた。

 

「ごめんくださ……☁」

 

「しっ!」

 

 早速声をかけ、ノックをしようとした友美を、孝治は自分の口元に右手の人差し指を立てて止めさせた。

 

「どげんしたと? 孝治」

 

「どげんもこげんもぉ……☢」

 

 不思議がる友美に、孝治はためらい気分で答えた。

 

「……美奈子さんがおれが好かん毒ヘビに化けちょったら、また大変ちゃよ☠ やきー涼子……ちょっと壁抜けばして、中ん様子ば見てくれんね?」

 

『ずっと前は、そげな失礼なこつやったらいけんとか、言いよったくせに☹』

 

 誰でも他人の矛盾的言動は、けっこう覚えているものである。『暮改』と言う四字熟語があるように。だけど孝治は、それを承知しながら、涼子に手と手を合わせてお願いした。

 

「昔んことはいいけ、頼むっちゃよ☕」

 

『はいはい☻』

 

 涼子は見た目にも呆れ顔丸出しのまま、スルリと壁に頭をめり込ませた。もちろん壁の向こうは、美奈子の部屋の中である。

 

 ここで涼子を先行させた理由。それは本人の告白(?)どおり、孝治は毒ヘビの類が大の苦手なのだ。それなのに魔術師の美奈子ときたら、得意の変身魔術で好んで毒ヘビ――それも毒ヘビの王(この場合は女王か)であるコブラに、身を変えることが多かった。しかもきょうのように、仕事がのうて暇んときは一日中コブラに変身して部屋に引きこもっとんやで――と以前、弟子の千秋から聞いた記憶が、孝治にはあったのだ。

 

 いったい師匠である彼女は、なにを考えているものやら。

 

「別にヘビにならんかて、前に一度仕事ばいっしょにしたときみたいに、白鳥にでもなってくれたらうれしいっちゃけどねぇ〜〜☹」

 

「それは確かにそうっちゃねぇ☚」

 

 孝治ほどではないが、友美も美奈子の変な変身癖(?)には、ほとほと困っている様子。そんなふたりがささやき合っているうちに、偵察――と言うより覗き見をしていた涼子が、壁からにゅっと顔を出した。

 

「おっ、どげんやった? 中ん様子は♾」

 

 すぐに孝治は状況を尋ねた。すると涼子は、つまらなそうな顔になって答えてくれた。

 

『別になんでんなかよ♞ 中におったんは、どうも千夏ちゃんだけやったみたいばい⛑ ひとりで花瓶に花ば差しよったけ⛲』

 

「なんね、それ?」

 

「珍しかねぇ〜〜✒ 美奈子さんも千秋ちゃんもおらんで、双子の妹んほうの千夏ちゃんだけっちことね✃ それも花ば飾りようなんちねぇ〜〜✁」

 

 孝治も友美も、予想外だった部屋の中の状況に、思わず瞳を丸くした。確かに弟子の千夏は双子の姉である千秋とは対照的で、実年齢(十四歳)に合わない無邪気な性格をしていた。しかしそのような千夏が、優雅にも生け花をたしなんでいようとは、きょうのきょうまで知らなかった衝撃の事実であった。

 

 でもはっきり言って、今は生け花うんぬんなど、どうでもよし。要は肝心かなめの美奈子が(ついでに千秋も)、どうやら不在の模様である状況なのだ。

 

「どげんする? 美奈子さんがおらんかったら、千夏ちゃんだけに話ばするわけにはいかんちゃよ✄」

 

 このような言い方は彼女に悪いと思うのだが、どうやら友美は相手が千夏では、話が通じないと考えているようだ。

 

「う〜ん……☁」

 

 これに孝治は、しばし両腕を組んで考えた。それからすぐに結論。

 

「まっ、よかっちゃよ☻ 中に入って待たせてもらうっちゃけ☺」

 

 実際美奈子がコブラにさえなっていなければ、この世に怖いものはなし。そのように考えるといくらか気が楽になり、孝治はすぐにドアをノック。コンコンと繰り返した。


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