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『剣遊記\』

第三章 南から来た大海賊。

     (14)

 同時刻。未来亭二階の執務室では黒崎が、ひとりの男――それも全身黒尽くめ(正しくは茶色混じり)の人物――から、新しい報告の説明を受けていた。このために黒崎は、秘書の勝美に別の仕事の用を言いつけ、執務室から退室をさせていた。なぜならこの男の存在を知る者は、黒崎と彼の一族のみ。秘書の勝美でさえ、秘密を知る者のリストには入っていないのだ。

 

 実はこの男こそ、先祖代々より黒崎家に仕える御庭番の子孫。大里峰丸{だいり みねまる}、その人なのである。

 

「では黒崎氏{うじ}、此処{ここ}に持参奉{たてまつ}る書状こそ、香川県拠{よ}り参上致し申した海賊征伐{せいばつ}の正式依頼にてござる」

 

「ご苦労だがや」

 

 黒崎は大里から封筒入りの書状を受け取ると、すぐに開いて内容を確認した。この封筒には確かに、香川県衛兵隊の刻印が押印されていた。

 

 それを見てから満足気味に、黒崎はささやいた。

 

「これで岡山、香川と、瀬戸内海両岸の衛兵隊から依頼を受けたことになるがや。まあ、今のところは口頭での口約束だが、これで孝治たちには嘘を言わなくて済みそうだがね」

 

「御意にてござる」

 

 全身をまるで忍者のような黒装束で包み、表情までも覆い隠している出で立ちの大里。その彼が、黒崎の執務机を前に深々と右足を立て、左足を床に付ける形でひざまずく。

 

 これぞ主君に忠誠を誓う忍びの姿勢。

 

 ただし、暗闇の中でならともかく、日中での黒(くどいけど茶色混じり)の服装は、逆にとても目立つきらいがあった。

 

 まあ、そこのところは大里個人の主義だとして、黒崎が依頼状に添付をされている返答書に、未来亭の社印を捺した。これが依頼を承諾した証しとなる。

 

 黒崎は港湾ギルドでの海賊情報収集が困難と判断するや、ただちに御庭番の大里を瀬戸内海へと派遣した。これは永二郎を想う桂の健気な気持ちに応えての隠密行動なのだが、前述をしているとおり、黒崎は常に利潤追求だけを優先させる男ではないのだ。

 

「僕は資本家失格かなぁ……」

 

 などと情に流されて動いたものの、それでも海賊退治が未来亭の利益に繋がるのであれば、これはこれでけっこうな話。つまり、人情家であるのと同時に、やっぱり強かな一面も合わせて持っている――これこそが黒崎健二氏その人なのだ。

 

 それから大里に、一刻も早く海賊の素性を探らせ、さらに岡山、香川両県の衛兵隊に裏工作も行なって、未来亭への戦士派遣を促進させたわけ。

 

「では帰って早々で申し訳ないが、峰丸、今度は帆柱君や孝治たちから正体がわからないように隠れて、裏から同行してほしいがや」

 

 黒崎の次の指令に、大里が再び深々とひざまずいた。

 

「承知奉るにてござる。然{しか}るに、如何なる理由が有って、拙者が帆柱殿らに同行奉るのでござろうか」

 

「いや、簡単なことだがね」

 

 珍しくも主君に問い掛ける御庭番に、黒崎が表情に含み笑いを交えさせて応じた。

 

「今回の仕事をより完ぺきに成功させるための保険だがね。だから君は彼らの道中、海賊の妨害を排除したり、戦闘を影から支援してくれれば、それでええがや」

 

「委細承知! 承{うけたまわ}ったにてござる」

 

 次の瞬間、大里の黒い姿が、黒崎の眼前から消失した。しかしこれは、決して魔術で瞬間移動をしたわけではない。想像を絶する荒修行で鍛えた筋力を駆使して、大里が執務室の天井にある秘密の隠し扉までの跳躍を果たした結果なのである。

 

「忍者は万里の道を一夜で駆け抜けるかぁ……」

 

 幼少のころから自分に仕えている大里であるが、今でも類稀なる彼の忍術に、当の黒崎自身が時々舌を巻いていた。

 

「とにかくだ。峰丸がついていれば、万事抜かりはなかろうがや」

 

 揺るぎない信頼を捧げられる御庭番――いや、友と言っても良いだろう。そんな大里の存在は、けっこう敵の多い黒崎にとって、真にもって感謝すべき、安堵とやすらぎの源でもあった。


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