『剣遊記 番外編W』 第四章 たったふたりの大海戦。 (4) 「な、ぬあんだとぉーーっ! 用心棒の先生方が、簡単に全滅したとねぇーーっ!」
ブリッジ内に引きこもっている大豊場の元に、再び船員からの報告が入ってきた。しかしその報告は、彼を落胆のアリ地獄の深みに、さらに大きく陥れるような内容だったのだ。
「……大方こがんなるんやっか……っち思いよったばってん、やっぱし時間稼ぎにも、いじくそならんかったばいねぇ☠」
これは半分、想定内の出来事だった――とはいえ、このまま黙って、やがてブリッジに押しかけるであろう清美の殴り込みを、なにもしないで指をくわえて待っているわけにもいかなかった。しかし使える手段が今や、まったく途絶えている状態でもあるのだ。
「た、大豊場様……どがんしますけ?」
自分で考える頭を持たない船長が、ほとんど狼狽の顔で、雇い主である大豊場に尋ねた。
「ほ、ほんなこつ……どがんしよ?」
だけど実際上の船の主人である大豊場の頭にも、もはや妙案及び打開策の浮かぶ余地はなかった――と、そこへ、ブリッジに別の男の声が轟いた。
「なんやったらこんおれが、新しか時間稼ぎになってやろうかっちね✌」
「おおっ! おまえは!」
わざとらしく驚きの声を上げる大豊場であった。もちろん同じ船に乗っている、言わば仲間同士である。誰もがその男を、全然知らないわけではなかった。ただその身なりが、これまた薄汚れている白地のTシャツに、頭の髪はボサボサのフケフケ状態。おまけに顔面無精ヒゲだらけの有様なので、船長たちは日頃から、あからさまに彼から顔を背けていたほどのやつなのだ。
「お、おう、腑阿呂{ふあろ}やなかね☜ お、おまえやったらあん本城清美ば、倒すことができるっちゅうとや?」
「へへへっ、いっちょん当たり前ばい✌ おれはそんために雇われた殺し屋ばってん、そん代わり……☻」
大豊場から腑阿呂と呼ばれた、少々不潔気味なうえに極やせの自称殺し屋が、雇い主の前で、右手をパッと開いて差し向けた。
「おれの今までの雇い賃に、金貨五十枚ば上乗せさせてもらうばい☻✌ そん代わり、おしらがこん船から逃げんでもええよう、本城清美ばなおしてやるけんね☻☠」
やせ気味である殺し屋――腑阿呂が舌舐めずりをしながら、持ち前の青白い顔に、さらなる酷薄さをにじませた。
もちろん彼が言うとおり、この日のために殺し屋を飼っていた、大豊場である。もはや腑阿呂以外の対策など、講じる余地もなし。それでも老婆心ながら、忠告をひと言。
「あ、ああ、もうわかったけん☠ ばってんこがんなったら初めに言うとくとやが、相手はあの、おまえかてよう知っちょう本城清美なんやけね♋ もう用心棒どものみぞげ(長崎弁で『可哀想』)で無様な結果ば見ちょうっち思うとばってん、とにかく舐めてかかるんやなかばい☢」
大豊場の脳裏には、先ほどの用心棒たちの失敗が、見事鮮明に浮かんでいた。その光景を、果たして腑阿呂も見ていたのだろうか。
「へへへっ、わかっちょうばい♪」
この笑い方では、あまり期待をしないほうが良さそうだ。とにかくこれにて、商談成立。そんな腑阿呂が薄気味の悪い笑みと体臭をブリッジにばら撒きながらで、大豊場と船長たちに背中を向けた。
それもまさに、余裕しゃくしゃくの態度で。
向かう先は清美と徳力のふたりがいる、船尾の方向だった。
「た、大豊場様ぁ……あがん得体の知れんやつごときで、ほんなこつ大丈夫なんでしょうねぇ?」
船長はまったくの半信半疑――もとい零信全疑でいるようだった。しかしその思いであれば、実は大豊場も同じでいた。
「や、やせんなかたい☠ だけんとにかく、早よ逃げる準備ばするとたい! あいかてどうせ捨て駒なんやけ☢ それよか今度こそ、時間稼ぎに期待ばしちょるんやけ✄」 (C)2015 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |