『剣遊記V』 第五章 地下迷宮の捕り物帳。 (6) これはどうやら、ゴブリン族が自分たちの手で、牢屋からの脱走を図ったようである。
いったいどのようにして牢から逃げ出したかまでは、美奈子にはわからなかった。だがゴブリンとて、いつまでもおとなしくしていたわけではなかったのだ。この事態は彼らなりに脱出のチャンスを、ジッと狙い続けていたからに違いない。
(ああ……これはちと面倒なことになりもうしたなぁ☹☁)
ただちに状況を把握した美奈子ではあった。だけど、あまりにもタイミングが悪すぎた。もう少し待っていてくれれば、今に千秋と千夏が孝治たち援軍を連れて、助けにくるはずなのに――とは言え、ゴブリン族が怪盗団の奴隷にされていようとは、美奈子も知らなかった話なのだ。だから打ち合わせなどまったくない彼らに、こちらの希望どおりに動いてほしいと願っても、それこそただの『無いものねだり』でしかないだろう。
そんな美奈子のハラハラドキドキはともかく、牢からの脱走には成功したらしいが、ゴブリンたちは圧倒的不利な状況に立たされていた。その理由は武器も持たずに抵抗しようとしても、怪盗団にひとり捕まりふたり捕まりして、次々と苦もなくひねられているからだ。
さらに捕まったが最後、恐ろしいまでの暴力の洗礼となってしまう。
「てめえらあーーっ! こっそり鍵ばかすめ盗るなんち、なんちゅうふてえガキどもやぁーーっ!」
酒の酔いも加わってか。鞭を振る盗人の虐待は、まさに苛烈そのもの。ゴブリンたちは床を転がりながら、ひいひいと泣きわめくしかなかった。
「そげんおらびよんやなかあーーっ! ちゃんと人間様の言葉で『ごめんなさい』っとか『すんません』っとか言ってみんかぁーーい!」
(我慢できまへん!)
現在美奈子はヘビの姿なので、文字と格好どおり、手も足もまったく出せないでいた。しかしついに、堪忍袋の緒が大爆発。あとは怒りに任せて、どうやら意識もしていなかったらしい。白コブラから元の人間へと一瞬にして立ち戻り、ゴブリン族を虐待する盗人の前に躍り出たようだ。
「な、な、なんねぇ……?」
突然目の前に見知らぬ――いや、それ以上に問題な姿の女性が現われたわけである。鞭を振る盗人が思わず絶句――というより硬直したのも無理はなかった。
当然、目が点。さらにその点目は、女性こと美奈子に釘付け。指一本動かせない状態となっていた。
そんなコチコチの盗人に、美奈子は怒りの瞳を向けた。それから両手を前に突き出し、手の平をかざしてから気合いを込めて叫んだ。
「はあーーっ!」
「うわあーーっ!」
「あひぇーーっ!」
とたんに鞭男と運悪くこの場に居合わせた三人の盗人たちが、もろに真後ろへと飛ばされた。
しかもそろってドガツンッと、通路の壁に後頭部が激突。三人ともあえなく、お寝んねの有様となった。
これぞ美奈子得意の攻撃魔術――一瞬にして相手を吹き飛ばす『衝撃波』の威力。
とにかくこの魔術で、周辺にいた盗人どもは片付いた。美奈子は壁際に集まって震えているゴブリン族たちに、先ほどとはうって変わったつもりの、優しい微笑みを向けた。
「もう大丈夫でっせ、ゴブリンはんたち♡ でも、こんなときやさかい、もうちょい静かにしておくれでやす✌ すぐにうちらの仲間が怪盗をやっつけに来ますさかいに✌」
ところがゴブリンたちは、美奈子の言葉になぜかうなずきもしなかった。それどころか盗人と同じようにして、美奈子をジッと凝視するだけなのだ。
「どないしはったんどすか? うちはただの魔術師やさかい、なにも怖いことはあらしまへんのやで☁」
このゴブリン族たちの態度を、さすがの美奈子も変に思った。そこへゴブリンのひとりが泡を食ったような顔をして、黙って右手の人差し指を美奈子に差し向けた。
「うち……でおますんか?」
言語に違いはあっても、仕草の面では人間も他の種族も、あらゆる部分で共通する行動習慣が存在するもの。指で差された美奈子は、逆に自分の右手で自分を指差した。
こちらも瞳が点の思いで。
それから改めて、今現在のおのれの格好を思い出す。そう言えば先ほどから、妙に涼しい気がしていた。
「ああーーっ! あきまへえーーん!」
いくら怒りで我を見失っていたとはいえ、これは見失い過ぎ。自分がコブラに変身をしたとき、衣服をすべて脱いでいた経緯を、見事に失念するとは。
つまり当然、人間に戻れば真っ裸――すなわちその姿で、怪盗団の男ども及びゴブリン族たちの前へと飛び出したのだ。
自分でもわかっていたはずなのに。
「いややあーーっ! これはかなわんわぁーーっ!」
さすがの美奈子も、たちまち羞恥心の火が点いた。もちろん急激に赤面化の思い。大慌てで床にしゃがみ込み、早口で呪文を唱えて、その身を瞬時に白コブラへと変えた。
これは周囲に服の代わりになる物がないので、とにかくいつまでも裸でいるわけにはいかないための、言わば緊急的措置だった。だが、美奈子の裸身がコブラに変じたとたんである。ゴブリン族たちが悲鳴を上げて逃げ出した。
「あいーーっ!」
彼らも一般の人間と同じで、毒蛇の類に本能的恐怖心を抱いていたのだろう。
(あん! 待っておくれやすぅーーっ!)
美奈子は変身についても、ゴブリンたちに弁解しようと思った。だけれどコブラになった今では、文字どおりの後の祭り。逃げたゴブリンたちは戻らない。
これはもう、あきらめるより他に道はないだろう。
あとはなんとしてでも再会時に事情を説明して、誤解を解くしか方法はない。だが果たして、そのような儚{はかな}い希望が叶うかどうか。
(もう! うちとしたことが、とんだ大失敗でおます☠)
そんな半分不貞腐れ気味となっている美奈子の耳に、地下の各所からまたも、盗人どもの大きな怒声が木霊した。
「てめえら、逃げんじゃなかぁーーっ!」
「オレたちば舐めくさってからぁーーっ!」
今も地下全体で、ゴブリン族脱走の騒ぎが続いているようだ。これでは誤解こそ受けたものの、まだまだ彼らを助けるための行動を起こさないといけない。
(これは……落ち込んでる場合やおまへんなぁ☀)
今度こそは軽率な真似をしないようにと、美奈子は自分の肝に命じ直した。そこへ怪盗団親分と子分の銅鑼声が、ひと際高く周辺に鳴り響いた。
「親ぶぅーーん! てえへんだあーーっ!」
「ぬぁにぃーーっ! 衛兵隊が来たやとおーーっ!」 (C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |