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『剣遊記V』

第五章 地下迷宮の捕り物帳。

     (23)

 仰天している状態は、孝治たちも同じ。理由は、本来の臆病な習性から逸脱。それどころか凶暴性すら発揮していたネズミどもがいきなりおとなしくなったかと思っていたら、あっと言う間に潮が引くかのごとく、一気に逃げ出しへと転じてくれたからだ。

 

「な……どげんなっとうとや?」

 

 孝治はほとんど、呆然の思いだった。

 

「……ネズミが急におらんごとなっちまったばい……ほんなこつどげんなったとや?」

 

 秀正も孝治と同じように、顔付きもしゃべり方も、呆然自失の有様だった。

 

 現実にはそれほど、時間は長くなかったであろう。だけどなんだか、何十時間もネズミと戦っていたような――そんな心境に、今の孝治たちはいた。ところが肝心のネズミ群が、あっさりと戦意を放棄。さっさと退却してくれたのだ。

 

「ぐるうぅぅぅぅぅぅ☁」

 

 狼――正男もくわえていたネズミを放り捨て、なんとなく覚束ないようなよろよろとした足取りで、孝治の元へ寄ってきた。

 

 正男もどうやら、孝治、秀正と同じ思いでいるみたいだ。だけど今の孝治に言えるセリフは、ただひとつしかなかった。

 

「なしてネズミが逃げたかっち言いたいとやろ♠ おれだって、わからんとたい☠」

 

 実はこのとき天井では、裸の美奈子が三毛猫――涼子を相手に、話をしている最中であった。だけど、下にいる者全員、ネズミとの戦いで頭がいっぱい。頭上に全裸美女がいる――ということに、まったく気づく暇もなかったわけ。

 

 無論美奈子とて、いつまでも裸のままでいるわけにはいかない。下での騒ぎが静まったと見るや、すぐにまた白コブラに変身。三毛猫(涼子)以外の誰にも知られないうちに、するすると柱を伝って床まで下りていた。

 

 三毛猫に幽霊が憑依している事実を、けっきょく知らないままでいた、たぶん。

 

 そんな彼女たちの頭上での活躍に気づくはずもなし。とにかく目の前のタンコブであったネズミ群さえいなくなれば、衛兵隊も元気復活。中でも隊長の大門など、早くも勝ち誇ったつもりでいるらしい。大きな怪気炎を上げまくった。

 

「見るがいい! 我らの勢いに恐れを為して、ネズミどもが逃げよったわい!」

 

 このとき砂津の小さなつぶやきに、孝治も目立たないようにしてうなずいた。

 

「隊長さん、きっと自分でもネズミが逃げた理由はわかっとらんばい☠」

 

「うん、きっとそうっちゃね♠♣」

 

 もっとも孝治自身も、今の時点でネズミが逃げた本当の理由など、まったくわからなかった。それよりも、大門の次の言葉に、孝治は大いに感心した。

 

「ではネズミに噛まれた者はおらんか? おればすぐに本部に戻って、傷の消毒をせよ⛑ どのような菌がおるか、わかったものではないからな☆」

 

 確かにそのとおりだと、孝治も思った。

 

「あの隊長さん、顔に似合わず、いいとこあるじゃん☀ 自分の部下への気づかいば、いっちょも忘れとらんけね☆」

 

 幸いネズミによる傷を受けた者は少人数に留まった。全員、丈夫な革や金属の鎧で身を固めている様式が、ここでは大いに僥倖だったと言うべきか。

 

 唯一、無防備とも言える正男も(狼でいるときは真っ裸)、全身の剛毛がネズミの門歯から、身を救ってくれたようだった。

 

 こうして傷を負った者。五名がやむなく退場。大門が、愛刀『虎徹』を高々と振り上げ(また天井にカチンと当たった。虎徹はけっこう長いのだ)、猛々しい雄叫びを張り上げた。

 

「皆の者ぉーーっ! いざ出陣じゃあーーっ!」

 

「おおーーっ!」


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