前のページへ     トップに戻る     次のページへ


『剣遊記V』

第五章 地下迷宮の捕り物帳。

     (21)

(けけけっ! おれの手下どもは無限におるけんね☆ いくら抵抗したかて無駄ってもんやけ♥)

 

 邪牙は笑っていた。ネズミに笑いの感情などあるはずもないが、ワーラットであれば、話は別。とにかく、天井から眺める眼下の光景は、たまらないほどの絶品。いや、堪えられない快感ですらあった。

 

 それはおのれの支配するネズミ軍団が、人間社会では最も実力と権威を保持しているはずの衛兵隊を、それこそ玩具{おもちゃ}のように翻弄しているからだ。

 

 しかしそのために、親分である亀打保や仲間たちとは、完全にはぐれていた。だが、これだけおもしろい余興を見られる絶好の機会となったのだ。後悔などは、まったく感じていなかった。

 

 あとは衛兵隊どもの始末が終わったところでただのネズミになりすまし、すたこら逃げれば良いだけの話。

 

 この慢心ともいえる余裕のため、邪牙は大きな油断をしていた。それは背後から猫が足音を消して忍び寄っているということに、まったく気づいていなかったのだ。

 

 バンッと、いきなり体を抑え込まれた驚きは、当然ネズミの鳴き声で表現された。

 

「ちゅちゅーーっ! (な、なんねぇーーっ!)」

 

 このとき逃げ出そうにも、すでに猫族特有の鋭い爪が体に喰い込み、身動きひとつままならなかった。

 

「ちゅちゅちゅーーっ! (げえっ! なしてここに猫がおるとやぁーーっ!)」

 

 ネズミ――邪牙の目に、まず飛び込んだモノ。それは今にも自分を食らおうとしている、白毛に黒と茶色が混じった三毛猫の、巨大なアゴと牙であった。

 

「にゃお〜〜☠」

 

「ちゅちゅちゅちゅちゅーーっ! (お、お助けぇーーっ!)」

 

 早くも完全狂乱状態となってもがきまくり。邪牙が必死になって猫爪から逃れようと、小さな体で儚い抵抗を試みた。だが、ワラをもつかむ思いであろう邪牙の目に、今度は前方からネズミにとっての、さらなる災厄が接近していた。

 

「ちゅちゅちゅちゅちゅちゅーーっ! (へぇーーっ! へ、ヘビまで来やがったぁーーっ!)」

 

 天井にある梁の先から迫ってくるモノ。今度はなんと、全身が白一色の大蛇であった。それも胸の部分を幅広くした、その姿。邪牙の記憶の知識にある限り、猛毒のコブラ以外には考えられなかった。

 

「ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅーーっ! (んなアホなぁーーっ!)」

 

 これがふつうの人であれば、『前門の虎、後門の狼(下にいる)』となるであろう。だからネズミの場合でいえば、『前門の猫、後門のコブラ』となるわけである。

 

 つまらないたとえ話をしている場合ではないか。

 

 ところが三毛猫もどう言うわけだか、突然目の前に現われた白コブラを怖れる様子を、なぜか微塵も見せなかった。理由は後述する。

 

「ちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅちゅーーっ! (た、食べられちまうばぁーーい!)」

 

 とにかく想像を絶する恐慌のあまりか。邪牙の精神が、この時点でバチンと弾け飛んだ。さらにそのまま、三毛猫の手元で、グッタリと動かなくなった。

 

(あら? 気絶しちゃったみたい☺)

 

 三毛猫――涼子は、いったんネズミから爪を離した。それから右の前足で小突いたり揺すったりしてみるが、もはやネズミはピクリともしなかった。それどころか変身回路が、どうやら還元に作動したらしい。ネズミの体が徐々に膨張。人の姿へ戻っていくようだ。

 

(いくら天敵やからって、ワーラットが猫とヘビば怖がらんでもよかっちゃのにねぇ✌)

 

 そんな気持ちで、ワーラットの呆気ない敗北を見つめていた三毛猫――涼子の耳に、突如ささやきかける優しい女性の声。

 

「子猫ちゃん、これはネズミやおまへんで♡ これはネズミやのうて人間が化けとるさかいに、食べてはあきまへんのやで♡」

 

 今さら言うまでもなく、それは優雅な京都弁であった。


前のページへ     トップに戻る     次のページへ


(C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system