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『剣遊記V』

第五章 地下迷宮の捕り物帳。

     (2)

「……ったくぅ、ほんなこつこれが上水道で良かったっちゃねぇ☠ もし下水道やったら、今ごろ全員、鼻が曲がって窒息死しちょうばい☠」

 

 衛兵隊の先頭に立って上水道内の側道――地下水道の脇に併設されている通行用の小道――を進む孝治は、延々と愚痴を続けていた。

 

 それも無理からぬ話。少し説明を行なえば、都市の地下上下水道は、両者が絶対に混じり合わないよう、距離を取って敷設されている。

 

 主に飲用として使われる上水は、山中の湧き水などから直接引かれていた。従ってその水質は、真にもって清純。上水道内に臭いと言えるモノは、ほとんど存在しなかった。

 

 もちろんネズミその他の不衛生な動物が棲みついてはいたが、これも水を一度沸かして飲む習慣が徹底していれば、さほどの問題ではなし。

 

 反対にいただけない場所が、下水道である。こちらは町で捨てられる生活排水のすべてが垂れ流しにされ、あまつさえ、人や獣の糞尿までが入り混じっている始末。そのため下水道内に充満している臭気は、まさに想像を絶する凄まじさがあった。

 

 これらの汚水は詰まるところ、けっきょく海に放出されていた。しかし、このためにどこの海沿いの街でも港湾が汚染され、おまけに赤潮の原因になるとも言われていた。

 

 とにかく都市の地下に敷設をされて以来数十年、一度も清掃が行なわれた形跡のない下水である。これではいくら網の目のように張り巡らされていても、怪盗団でさえそこを利用する気には、とてもならないであろう。

 

「やつらも人の子っちゅうことやね☁ やけん正男の鼻も臭い匂いが邪魔にならんけ、力ば発揮できるっちゃけ♥」

 

 孝治の愚痴に応える秀正の前では、狼こと正男が鼻先を地面――側道の床面にすり付け、怪盗団の足取りを追っていた。

 

 新たな事件が起こりしだい、一般の店内に超法規的措置で踏み込む通達はこの宝石商だけでなく、北九州市内すべての大型商店に通告済みであった。だからこそ、市内の各店に美奈子が用意したコスモスを配置。さらに店内で孝治たちや衛兵隊を張り込ませる作戦が、可能となったわけなのだ。

 

 それを考えると、美奈子が用意した色取りどりのコスモスの量は、とても膨大であったということか。

 

 ちなみに大門は、おのれの威厳と強権で、この通達が実施されたと考えているようだ。しかし本当は、未来亭店長の黒崎氏が裏で手を回し、各店に協力をさせていた。

 

 この話は、一応孝治も耳に入れていた。だから内心では、空威張りをしている大門の姿が、愉快痛快でたまらないといったところ。もちろん真実を話す気など、さらさらもないけれど。

 

 なお、孝治たち到着の際、地下の金庫室で待っていた者は、千秋と千夏の姉妹だけ。

 

すべては美奈子の指図どおり。

 

金庫及び金庫室のドアを魔術で施錠していた者も美奈子であり、その施錠は別の魔術師の力で解錠可能なようにしてあった。

 

追跡尾行は師匠――美奈子の痕跡(これは千秋と千夏のふたりにしかわからないらしい)を追えば良いという。ところが駆けつけた面々の中にワーウルフも混じっていたので、なぜかふたりは先頭役を、正男に譲っていた。

 

孝治はその理由を、千秋に尋ねてみた。

 

「初めは千秋ちゃんが案内するつもりやったんやろ♐ なして順番変わったとね?」

 

 これに千秋は、おもろないなぁ――と言いたげな顔をして、そっと小声で答えてくれた。

 

「千秋にはわかるんや☛ あの衛兵隊の隊長はん、千秋と千夏の言うこと、かなり疑ってかかるタイプやっちゅうことをやね✍」

 

「なるほどねぇ……☝」

 

 それだけで孝治は、納得をしてうなずいた。確かに初めて金庫室で、双子姉妹と大門が、バッタリ初対面をしたときだった。最初に千夏が言ったセリフで、大門は偏見もあらわに吠え立てたものだ。

 

「皆さぁぁぁん、千秋ちゃんとぉ千夏ちゃんのぉうしろにぃ、ついて来てくださいですうぅぅぅ♡」

 

「馬鹿にするなあ! なんでこんな子供の言うことを聞かねばならんのだあ!」

 

 まさに雷{かみなり}一発。根っから気性の荒めな男が、すなおに承諾などするわけがない。しかし、それでも泣き顔ひとつ見せず、かなりの気丈ぶりを、千秋と千夏の姉妹は見せつけた。

 

「まあ、ここは一応引っ込んだるわ☻ 先頭はそこの狼🐺に任したるで♐」

 

 千秋が言うと、千夏もうんうんとうなずいていた。

 

「さすが大阪生まれっちゃねぇ♪ そのド根性は見上げたモンばい♫♬」

 

 孝治も大いに感心するほどに。また、狼を始め犬族の嗅覚が人間よりズバ抜けて優れている事実も、姉妹だけではなく、全員が知っている常識であろう。そのためここはやはり、誰が見ても信頼性の高いほうを先に立てるべきと、彼女たちなりに判断をしたのかもしれない。

 

「ほんなこつ、大した双子やねぇ☀」

 

 孝治は改めて、千秋と千夏の双子姉妹に瞳を向けた。

 

 ふたりとも可愛らしくて、かなり天真爛漫な性格である。姉の千秋は気性の荒い面もあるが。

 

 それにふたりして、けっこう頭の計算も素早いのだろう。大門の顔付きと行動ぶりを見て、即座にその性格(頭が固そう)を見抜き、自分たちは黒子役に徹する気構えを見せているのだから。

 

 そんな千夏が、そっと孝治の左耳にささやいた。

 

「このほうがぁ、千夏ちゃんもぉ楽チンさんですうぅぅぅ☀☀」

 

「あのねぇ……☠」

 

 孝治はこれにも少々だが、見事に意表を突かれた気になった。案外小ズルい一面も、見せてくれたものである。

 

「なるほどぉ、地下水道を利用するとは、下手人どもも考えたものだわい✌」

 

 ここで大門の知ったかぶりに、孝治は思わず吹き出しそうになった。

 

(これくらい、誰でも考えますっちゃよ✄)

 

 だけどそれを口に出せば、再びひと悶着の元となるだろう。だからここでは、あえて黙っておいた。

 

 大門を怒らせたら実際に損なので、うっかり突っ込む真似もできないのだ。

 

 それはそうとして、地下水道は所々で道が枝分かれをしていた。だけれど正男の的確な誘導のおかげで、全員迷わずに進行することができた。しかし、孝治たちも衛兵隊の面々も、みんなだんだんと無口になっていった。

 

 暗くて陰鬱な道を歩き続けると、人はなぜかしゃべらなくなる性質なのだ。

 

 だがこの静寂も、まもなくやぶられる展開となるであろう。


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