『剣遊記V』 第五章 地下迷宮の捕り物帳。 (15) とは言え、孝治は正男に尋ねられなかった。
なにしろ質問をしたところで、現在狼の姿でいる正男はしゃべれないからだ。
そこで孝治は、正男の右隣りにいる秀正に、瞳を向けて訊いてみた。
「なんか、わかるけ?」
だが、頭にタオルを巻いている盗賊も、首をひねってばかりでいた。
「わからんっちゃよ☹ おれにもさっぱりやけ?」
しかし、どうやら狼の嗅覚がなにかをつかんだらしい様子だけは、孝治にも(たぶん秀正にも)理解はできていた。だけれど、獣に変身中だとコミュニケーションが非常に取りづらくなることが、孝治にとって実にもどかしかった。
繰り返すが、孝治も正男がなにかを訴えようとしている様子だけは、一応わかっているつもり。だがこの混乱の最中では、その異変を大門に伝える術{すべ}もないのだ。
そんな無駄に時間を浪費しているところだった。まずは最初の一匹目が現われた。
それは通路の端っこ。微かに明るい角燈{ランタン}に照らされた、小さな影。
「えっ?」
孝治は初め、それをただの点だと思った。だがその影が、すぐに三匹、十匹、五十匹と、どんどん数を増していった。
「うわっち! 嘘やろぉーーっ! ネズミの群ればぁーーいっ!」
孝治はたまらず悲鳴を上げた。その次の瞬間には、大群の数は計測不能となっていた。
まるで市内に棲むすべてのネズミが、この一箇所に集結したかのようだった。その大軍勢が、何者かの合図を受けたかのごとく、一斉に襲いかかってきた。それも亀打保たち怪盗団には一切目もくれず、まっすぐ孝治たちや衛兵隊の面々だけに。
このネズミの行動は完全に、悪意ある意思の命令を受けたとしか思えなかった。
「うわっちぃーーっ! 今さら遅かとやけど、正男が感知したんは、このネズミやったっちゃねぇーーっ!」
「ほんなこつ遅かばぁーーい!」
孝治と秀正が剣と短刀で、それぞれ自分の身に飛びかかってくるネズミを、バッタバッタと振り払う。しかし一匹や二匹を退けたところで、到底間に合わない膨大な数である。
無論ネズミは、狼である正男にも襲いかかっていた。当然爪と牙で応戦しているが、やはり孝治たちと同じ憂き目となっていた。
いくら狼が獣の世界では優秀な戦士であっても、相手がネズミの大群ともなれば、甚{はなは}だ分が悪かった。仮に正男が虎かライオンであったとしても、これでは同じ結果であったに違いないからだ。
もちろん大門を始めとする衛兵隊も、この事態は予想もしていなかったであろう。小さな猛獣たちの襲撃で、全員が悪戦苦闘を繰り返していた。
「えーーい! こざかしい小ネズミどもがぁーーっ!」
隊長の大門が、怒りもあらわに吠え立てた。しかしなにしろ、襲撃者の軍勢は無尽蔵。刀や剣の類をいくら振り回したところで、ネズミはあとからあとから押し寄せてくる。これでは当然、怪盗団を捕まえるどころではない。また、当の怪盗団も、この混乱を狙っていたようだ。
「そん調子ったい邪牙! こいつら全員骨になるまで、ネズミに攻撃ば続けさせるんやぁーーっ!」
衛兵隊との戦闘は、この際すべてネズミ軍団任せ。亀打保が残った四人の子分を引き連れ、これで最後だと思われる隠し通路の入り口に、けっこう大きな図体の体を飛び込ませた。
孝治はこのときは知らなかった話であるが、どうやら亀打保はネズミに変身した邪牙を、完全に見失っていたようなのだ。
要するに、見捨てたわけ。ここはやはり、『我が身可愛さ』が優先するようだ。しかし無数のネズミ群の中から、たったひとりのワーラットを捜し出すのも、これはこれで無理な話であろう。
まあ同情の余地は、この一点しか存在しないが。
その件はとにかくとして、大門はさすがに衛兵隊の隊長だった。
「あっ! くぉらあーーっ! 逃げるなあーーっ!」
すぐに逃走へ移った亀打保一味を、その目でとらえていたのだろう。大声を張り上げ、愛刀虎徹を無意味に振り回していた。
だがいかんせん、足元を遮るネズミ軍団の壁は、そう簡単には乗り越えられなかった。
「おのれぇ、亀打保ぉーーっ!」
大門のうなりは、まるで呪詛のようだった。その声が混乱しきった地下通路全体に、木霊となって響き渡っていった。
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