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『剣遊記 超現代編T』

第一章  某漫画家の転換、分裂!?

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「う〜ん……☁」

 

 デビューをしてまだまだ経歴の浅い新人漫画家の鞘ヶ谷孝治{さやがたに こうじ}は、大いに悩んでいた。

 

 週刊漫画誌『少年ビクトリー』の新人賞を受賞して、華々しく週刊連載を勝ち取ったまでは、まさに人生順風満帆。華麗なる未来がこれで約束されたものとして、そのときは滅茶苦茶に喜んだ孝治であった。

 

 しかし、いざデビューを果たしたとたん、担当編集者から任された作品の内容は、現在世の中のあらゆる階層からの支持と好評を得ている、いわゆるラブコメ漫画だったのだ。

 

「女ん子の気持ちけぇ〜〜、簡単に言うっちゃけど、なかなかわからんもんちゃねぇ〜〜

 

 などと愚痴を続ける孝治の現在の住まいは、東京のある一角。雑誌社――『未来出版{みらいしゅっぱん}』にて用意をされた、十階建て某マンションの最上階にある、ひとつの部屋の中。その部屋は漫画家のスタジオとして利用するには充分なスペースがあり、今までにも数多くの新人漫画家たちが、ここを連載のスタート地点としていた。

 

 孝治はそのスタジオ兼住居で事実上の缶詰状態にされ、慣れない作風で頭をひねりにひねりまくっていた。

 

 これは憶測なのだが、出版社が一番高いフロアに部屋を用意する理由は、締め切りから逃亡する漫画家を、そうはさせじと監禁するためではなかろうか。一応冗談ではあるけれど、噂としては、けっこう広がっているようである。

 

 本来孝治は、けっこう硬派な作風に憧れて、新人賞応募作も、その流れに沿った作品となっていた。

 

 しかもこれが入選。編集部から大きな期待を賭けられ、若干二十歳での連載獲得となったのだ。

 

 ところが編集部から依頼をされた作品は、これまで孝治の興味をあまり引かなかった、マイルドな作風のラブコメ路線。シリアスで硬派な漫画を描いたつもりだったのだが、作中の女の子の作柄が編集部や読者から大いに受ける結果となり、孝治自身思いも寄らなかった、ラブコメ漫画に挑戦させられるしだいとなったわけ。

 

「女ん子けぇ〜〜♀ 意識したわけでもなかっちゅうとに、そげん評判良かったっちゅうんかねぇ……☁」

 

 自分でも自覚はしているが、孝治は東京に出向いてからも、故郷である北九州弁を愛用していた。もっとも地元では、ふだんからテレビでお隣りの博多弁ばかりが放送されているので、無意識ながらも混合された訛り方になっているのだけど。

 

「お兄ちゃ〜〜ん、もう夜遅いけ、もう寝たらどげんねぇ☹」

 

 自宅兼仕事場とされているマンションには、孝治よりふたつ年下である妹――涼子{りょうこ}も同居をしていた(やはり北九州弁愛用)。彼女は東京の女子大に入学をした学生で、孝治よりも先に上京をして、つい最近まで大学の寮で暮らしていた。そこへ兄が漫画家として東京に出向く話となったので、ある意味オタク傾向のある涼子が自分からアシスタントを申し出て、いっしょに暮らす流れとなっていた。

 

 つまり孝治の身の回りの世話は、ほとんどが涼子の務めである。そのおかげで孝治は、炊事洗濯掃除の手間から、大いに免れてもいた。早い話が妹に悪かねぇ〜〜と思いつつ、とても助かっている状態でもあった。実際、実の兄妹の同居に、なんの問題も無いことだし。

 

「そうっちゃねぇ もう寝よっか

 

 大方のあらすじは出来上がっていた。だけど今は、まだネームの段階。あしたまでにはこのネームを仕上げて、担当編集記者と打ち合わせをしないといけない。それでもまだ余裕があるので、孝治は涼子の言葉に従う気持ちとなった。でもその前に、やはり担当編集記者には、一応の連絡を入れておくべきであろう。孝治はすぐさま、机の上に置いてある携帯電話に右手を伸ばした。

 

「あっ、浅生さん、おれです☀ 鞘ヶ谷孝治です☝」

 

〈あっ、鞘ヶ谷先生、どうしたんです? こんな夜中に……☁〉

 

 孝治の担当編集記者は女性である。彼女には初応募から始まり、それから入選以来、いろいろなことにお世話になっていた。さらにデビューを果たした今も、連載の進め方などで、やはりいろいろなアドバイスを受けている。

 

 そんなある意味恩人であり、今やすっかり信頼しきっている担当記者なので、電話をかけた孝治は仕事の緊張から離れ、やや力を抜いたような気持ちになっていた。

 

「実はまだ未完成なんですけど、あしたの昼までにはネームば仕上げるんで、きょうのところはもう寝させていただきますね

 

 これに対する記者の返事は、孝治にとても好意的だった。

 

〈わかったわ★ あんまり体に無理させないで、あしたまたお会いしましょうね 希望してたアシスタントも、そのときいっしょに連れて行きますから

 

「あ、ありがとうございます♡」

 

 孝治は目の前にはいないはずの担当記者に向かって、携帯電話を右の耳に付けたまま、ペコペコと何度も頭を下げた。これは世界中の人々から不思議がられている、日本人の変な習性とでも言うべきか。

 

 とにかくこれにて、報告は終了。あとは軽くシャワーでも浴びて気分を一新させ、多少の仕事は残っているものの、きょうのところは眠りの世界へと、自分を導かせるばかりとなるだろう。


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