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『剣遊記12』

第一章  戦士はつらいよ、望郷篇。

     (12)

 裕志も荒生田も、この短髪色黒女性の驚異的な聴覚に、一時的だが現在のおのれの状況を忘れる事態となった。それから実に大馬鹿な振る舞いで、荒生田が草むらから、今度こそ堂々と立ち上がった。

 

 ピョコンと。

 

 あとで荒生田が言い訳をするには、そのときは単純に驚いていたからだと言う。

 

「裕志……今ん音が聞かれたとやろっか?」

 

「わわっ! せ、先輩! 立ったらまずかとですよぉ!」

 

 裕志が大慌てで大声を出しても、もはやとっくに後の祭り。いや、裕志の声のほうが、むしろ思いっきりなトドメになったりして。

 

「ああっ! いったーらは痴漢やがぁ!」

 

 一応は乙女の恥じらいであろうか。女性は右手でけっこう大きめな胸を。さらに左手で下の部分を隠していた。ところが目線だけは鋭く、荒生田と裕志――戦士と魔術師の組み合わせを、ギラリとにらみ続けていた。

 

 その瞳は、まさに野獣そのもの。また荒生田と同じく、どうやら戦いを生業とする者――つまり戦士のそれであった。

 

 そんな殺気立った空気を撒き散らしながら、女性は周辺の温度を一瞬にして凝結させるような威圧感剥き出しで、出歯亀男ふたりに向かって叫んだ。

 

 両手で一番大事な二箇所を隠しているとは言え、肝心の自分自身の全裸は、堂々と曝したままで。

 

「うりにおるボケッとしたサングラスとにーしぇーみたいな魔術師の格好しとういったーども! 人をどぅまんぎるさせて、ゆんたくだけで済むって思ってんやがぁ!」

 

「……先輩、彼女がしゃべっちょうの、沖縄弁みたいですっちゃよ☞」

 

 この場の緊張感にはややそぐわないが、裕志がこそっと、荒生田の右耳にささやいた。しかし荒生田が、このセリフに応じる前だった。当の女性が裕志に、ギロッと視線を移し変えたのだ。

 

「やーだ、やー! ひーらー(沖縄弁で『ゴキブリ』)みてえにふゆー(同『だらだら』)すんじゃねえ!」

 

「ぼ、ぼくぅ?」

 

 裸の女性のあまりにも猛々しい剣幕で、この手の人種に慣れない裕志が、つい素っ頓狂な声を上げた。

 

「ちゃ、ちゃうんばい! ぼ、ぼくたちはそのぉ……☢」

 

 ここでなんとか、裕志は言い訳を試みようとした。だが現実に、自分自身も覗きを実行していたのだ。従って今は、ノドさえも詰まっている状態。もはや言葉の片鱗をつむぎ出すこともできなかった。

 

 だがやはり、このような切羽詰まった状況下でも、さすがに荒生田は違っていた。

 

「いやぁ☆ たった今まで黙って見ちょった非礼は詫びるっちゃね♡ しかし君のその、真珠のような玉の肌♡ それに見事なプロポーションなその肉体美♡ これは芸術ば鑑賞する気で拝見ばせんと、逆に神の天罰ば喰らったかておかしゅうない話やと、こんオレは思うっちゃねぇ♡」

 

 この言い訳はいったい、なんと表現をするべきだろうか。とにかく当の痴漢被害者を前にしてシラジラしく――だけど開き直りからは微妙に外れている言い回しというものか。荒生田の口は、見事に饒舌だった。そのためか女性のほうが、かなり呆気に取られている感じ。

 

「はっさみよぉ(沖縄弁で『なんてこった』)? おれの裸が芸術だはずやがぁ?」

 

 口調こそまだまだ荒いが、彼女の顔色が裸を覗かれた怒りから、だんだんと納得の表情に変化。荒生田はしてやったりと、口の右端をニヤリとさせた。

 

 無論女性心理があまりわかっていない裕志のほうは、いまだポカンの有様でいるままだが。

 

 それでも女性は、荒生田に対する警戒心を、まだまだ剥き出しのままにしていた。しかしその状況も、今や時間の問題のようであった。

 

「ほほう、するてえといったーらは、言わばいっぺーじょーとーなチュラカーギー(沖縄弁で『美人』)でも観る感じで、このおれの裸を見たってゆくるだわけさー☆ それならまあ、今回はしーぶんで許してやるさー♐」

 

「わかってくれて、ほんなこつ感謝ばい♡♡」

 

 本当に荒生田の弁舌で、納得をしてくれたのかどうか。彼女の真の気持ちはわからなかった。それでも怒りの拳{こぶし}を一応収めてくれたようなので、サングラスの戦士こと荒生田が、彼女に向かって、紳士らしく一礼をした。


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