『剣遊記Z』 第五章 美女とヒュドラーと白鳥と。 (7) とにかくこの火事で、美奈子が着て帰るはずの黒衣が、完全に失われたわけである。
ここでしばし呆然としていた千秋が、ふだんの威勢もどこへやら。ポツリ声で白鳥――美奈子の右耳(辺り?)に尋ねていた。
「……師匠、どないしはるつもりや?」
その師匠も、今は同じ呆然のご様子。白鳥の姿でいても、はっきりとわかるほどに。千秋の問いに、すぐには答えられない感じでいた。
きょうに限って運搬係のロバを連れてこなかったので、荷物はすべて手持ちだったのだ。
それからしばらく、美奈子は焼け跡を見つめたあと、ようやく気が落ち着いたようだった。白鳥姿のままで双子姉妹を翼で呼び寄せ(手招きならぬ羽根招き)、ふたりにそっと耳打ちをした。
ここで不思議な話。美奈子は動物に変身していても、千秋・千夏とは意思の疎通が可能らしいのだ。
鳥の姿でいる以上、人語はまったくしゃべれないはずなのに。
だから中原からこの変な様子の意味を尋ねられても、孝治は曖昧な答え方しかできなかった。
「あれでなんかわかるとね?」
「……わかるらしいとですよ☹ 少なくとも、あの三人の間では……☁」
やがて美奈子の考えとやらが伝わったようで、千秋が再びふだんの彼女らしくもない神妙な顔付きで、孝治たち一同に言い渡した。
「みんな、聞いてや♐ 師匠はこんまんまで未来亭まで帰ることにしたで✈ そやさかい、砦なんかを越えるときは、みんなで協力してほしいんや♥」
孝治は唖然とした気持ちになった。
「……そ、それって、ほんなこつ?」
それって世間の常識から、ちょっとばかし外れちょうばい――とは、あえて口にはしなかった。だがやはり、非常識の範疇に入る振る舞いに間違いはないだろう。
今回の仕事の場――山口県萩市は、北九州市から比較的近距離である。だからふつうの人の歩きぐらいの速度であれば、二、三日の行程で帰り着けるはずなのだ(それもロバを休みにした理由のひとつ)。
しかし美奈子は本気で白鳥のまま、ふつうの街道を行くつもりのようだ。人と白鳥が仲良く並んで歩く光景は、思いっきり不自然としか言いようのない話だが。
「町まで下りゃあ、服くらい買えるやろ! それとも旅の路銀まで燃えちまったとね?」
呆れた思いでさらに問い返した孝治に、千秋は早くも、いつもの澄まし顔に戻って、頭を横に振ってから応じてくれた。
「それやったら大丈夫やねん✌ お金も通行証も千夏が持っとったもんやさかい、一応みんな無事やねんな✌ ただ師匠は、これでお金を使うくらいやったら、変身したまんまで帰ったほうがええ♞ こう言いよりまんのや♠♣」
孝治はさらに唖然化した。同時に少々、納得もした。
「……こ、こげな所で、ケチな関西人の悪い癖が出たっちゃねぇ☻」
確かに無駄な出費を嫌がる気持ちも、孝治には大いにわかる話だった。だが、あまりにもなんと言うか――セコ過ぎる感じがする。だけど、それを言いかけた孝治を、白鳥がジッと見つめていた。
「うわっち!」
孝治を見つめる白鳥の瞳には、コブラのときと変わらない威圧感があった。
前にもヘビに変身している美奈子からにらまれると、孝治はたちどころに萎縮した。
文字どおり、ヘビににらまれたカエルの状態。
だがまさか、白鳥になっても同じ威力が健在であったとは。もしかしてこれは、動物の種類にはまったく関係をしない、一種の強力な眼力なのかもしれない。
けっきょく孝治は、指摘する気をやめにした。
「それじゃ仕方なかっちゃね☺ ここはわたしたちで美奈子さんに協力してあげましょ♥ 砦の衛兵さんたちには、わたしたちが説明すれば済むことやけ♥」
「……わ、わかったっちゃよ♋」
友美までが美奈子の肩を持ってしまえば、もはや孝治に反抗の術はなし。渋々だけど、白鳥といっしょの帰路を承諾するしかなかった。
それでもまあ、白鳥ならばコブラよりも、遥かにマシと言えるかも。なにしろ毒蛇を怖がる人は孝治だけに限らず、世の中に無数に存在するであろうから。しかしこれが白鳥であれば、逆に誰からでも可愛がられるはずであろう。
「……とは言うたかて、説明すんのはおれと友美だけの役目になっちゃうやろうねぇ〜〜☁☃」
「どげんして?」
孝治のふとしたつぶやきに、友美が疑問の瞳で見つめていた。孝治は苦笑を浮かべた気分で、友美に答えた。
「そやかて、千秋はあげんとおりの固い頭で生意気盛り☻ すぐ衛兵とケンカするやろうし♋ 千夏は無邪気にヘラヘラばっかしして、あの姉妹じゃ砦の衛兵たちかて、いっちょも要領得んっち思うっちゃけ☠ それに中原さんは無関心の様子やし、涼子は手も足も出せんし、あとひとり……徹哉はいっちょも役に立たんやろうけねぇ☠」
「みんな、すっごか意地悪な評価が入っとうちゃけど……確かにそれは言えそうやねぇ☻」
孝治の偏見丸出しな言葉であったが、友美はそれでも、深々とうなずいてくれた。 (C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |