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『剣遊記Z』

第五章 美女とヒュドラーと白鳥と。

     (16)

『ただいまぁ……って、な、なんねぇ! これってぇ!』

 

 このような非常時になってからやっとで、涼子がのこのこと、湖に戻ってきた。もちろん幽霊とはいえ、急変すぎている事態の変換に、まるで宇宙まで飛び上がらんばかりに驚いていた。

 

『孝治がなしてヒュドラーと戦いよんね! しかも真っ裸んまんまでぇ!』

 

「見たまんまなこつ言わんといてやぁ! わたしかて知らんかったっちゃけど、こん湖にヒュドラーが棲んじょったっちことなんやけぇ!」

 

 ある意味呑気とも言えそうな調子の涼子に、友美は腹を立てた感じで言い返した。それでも涼子の驚きは収まるはずもなかった。

 

『それで、なんかようわからんちゃけど、孝治が代表して戦っちょうわけぇ?』

 

「そげんことっちゃよ!」

 

 幽霊の涼子もそうなのだが、魔術師の友美でさえ、孝治とヒュドラーの戦いには助けの手が出せず、あせる気持ちで事態の推移を見つめるしかなかった。

 

 実際、この場における本職の戦士は、孝治ひとりなのだ。おまけにこれほどの乱戦になってしまえば、友美も美奈子も、簡単に手助けができる状況ではなかった。

 

 中原は民間の絵師であるから、これは問題外。また徹哉にいたっては、時々見せる奇抜な行動以外に、戦力としての期待は、まったく持てなかった。

 

 その民間の絵師である中原が、なぜか全身を震わせ、大きな怒りに燃えている様子でいた。

 

「うおのれぇ、ヒュドラーの野郎ぉ! おれの芸術ば邪魔立てするなんち、断じて許せんけぇ! おれはいっちゃんちかっぱグラグラこいたぁーーっ!♨♨♨」

 

 さすがに怪物が現われても、写生を続行するほどの非常識ではなかった。だからそれゆえ、なおさら憤慨が巨大なのであろうか。

 

「孝治さんとやらぁ! そこばどくったぁーーい!」

 

「うわっち?」

 

 いきなり吼えられて、孝治は一瞬困惑した。しかし孝治を振り向かせるよりも早く、中原は拳骨ふたつ分くらいの大きさがある石の塊を右手だけでつかみ上げると(これだけでも凄いと思う)、それをヒュドラーの頭を狙って投げ飛ばした。

 

 それがガツンッと見事、ヒュドラーの十個ある頭のうちの一個に命中! 石はヒュドラーの正面から見て右から三番目の頭に当たり、牙が何本も折れ散った。

 

「うわっち……嘘やろ……♋」

 

 この快挙に、孝治は今度は唖然となった。そんな孝治は無視。続けて中原が、何十個も連投連投を繰り返し。これだと何個かの外れもあるが、当たった石の塊は、確実にヒュドラーの体を痛めつけていた。

 

「あんた……ほんなこつただの画家ね? 昔射手でもやりよったっちゃなかろうねぇ?」

 

 孝治の尋ねる射手とは、弓矢を専門に扱う戦士である。当然その職業柄、物を投げる命中率が、誰よりもズバ抜けて優れている。

 

 だが、孝治の問いに対する中原の返答は、実に的外れな内容だった。

 

「射手はやったことなかけんが、投手はようやりよったばい✌」

 

「やけんねぇ! それがわからんとたい!」

 

 やはり孝治の周りは、謎だらけの人物ばかりだ。


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