『剣遊記Z』 第五章 美女とヒュドラーと白鳥と。 (12) 写生が始まって、いったいどのくらいの時間が経過したであろうか。
「よっしゃ! もうすぐばい☆」
中原の気合いの入った声が、辺りに鳴り響いた。しかし持てる気力をなんとか振り絞ってはいるものの、孝治の体力はもはや、限りなく限界に近かった。だから湖面に最初、小さな波紋が生じたときは、それがいったいなにを意味するものなのか。まったく考える力が働かなかった。
「うわっち……☁」
そのために戦士たる者、いつどのような場面においても、異変の兆候を見逃してはならない――そんな昔習った鉄則に思いが到るまで、多少の時間を要する失敗をしでかした。
だが波紋そのものは、現在の孝治の状況には、まったく関係なし。だんだんと大きさを増していった。
「……あれぇ? あれって、なんやろっか?」
「くぉらぁ! もうちっと我慢せんねぇ!」
「うわっち! ちゃ、ちゃうと!」
もう中原からいくら怒鳴られても石をバチャンッと投げられても、孝治はそれどころではなかった。ようやく只事ではないのを認識したからだ。
「湖からなんか出ようっちしようとばぁーーい!」
手に持っていた花束を水面に投げ落とし、孝治は波紋が生じている方向を、右手で指差して叫んだ。
その指先の湖上では、美奈子と千秋と千夏の三人が、仲良く水泳を楽しんでいた。いったいなにが出るのかはまだわからないが、このままだと三人の危機は絶対。
孝治は中原に構わず、大きな声を張り上げた。
「早よ岸に上がりやぁーーっ! 怪物が出よるっちゃあーーっ!」
すると孝治の叫びに呼応するかのごとくだった。湖面をザッバアアアアアアアアアンンンッと割って、巨大な大蛇が何頭も躍り出た。
いや、何頭も――は間違い。遠目に見ても十頭ほどの大蛇の胴体は、すべてひとつにまとまっていたのだから。それも太めの大ワニのような。
鋭いかぎ爪を備えた両手両足に、厚い鱗で覆われたデブッとした胴体。そこから長い首が十本も伸びた怪物はといえば、もうそれしかないだろう。
孝治は完全に判明した事実を再び声にして叫んだ。
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