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『剣遊記Z』

第五章 美女とヒュドラーと白鳥と。

     (11)

 居眠りは断固一切許されず、しかも休憩をまったく考慮しない中原の、拷問に近い写生が続いた。

 

 孝治はもはや、立ちっぱなしのしびれと湖の冷たい水温で、両足の感覚がなくなりかけていた。それなのに中原は、寒さで震える動作すら容赦しなかった。

 

 この一方で、単調な写生は見ている者たちにとって、単なる退屈な時間でしかなかった。そのため暇を持て余したのだろう。涼子は近くの山へ、勝手に探索へと出向いていた。

 

 これはまあ、いつものこと。また美奈子は自分が白鳥の姿でいることを、まるで今になって思い出したかのように、湖面を優雅に泳いでいた。この(能天気な)師匠にならってか、千秋と千夏の姉妹も、ふたりそろって着ている服を全部脱ぎ捨て、真っ裸になってジャッバァァァンッと、湖に飛び込んだ。

 

「やっぱ、大自然ん中で泳ぐんは最高やでぇ♡」

 

「うっわぁーーい♡ 千夏ちゃんもぉ、気持ちいいさんですうぅぅぅ♡」

 

 さすがは一種の野生児。ふたりとも水の冷たさが、全然平気なご様子でいた。おまけにとても意外な事実。ワイルドなイメージの千秋はともかくとして、千夏も水泳がかなりのお上手だったりする。ちなみに平泳ぎ

 

 やっぱり双子の正体は謎だらけ――は、この際いつもどおりに置いておく。それにしても、寒さをジッと我慢の子にしている孝治を横にして、みんな呑気なものである。しかし友美だけは泳ぐ気にならないようで、一心不乱に写生を続ける中原の近くに再び寄って、小さく声をかけていた。

 

「あのぉ……また質問してもよかですか?」

 

「ああ、よかばい♡」

 

 案の定というか。中原の対応の仕方は、まるで人が変わったかのよう。やはり友美には優しかった。これが孝治であったなら、また情け容赦なく石を投げられるところであろう。

 

「ここでは下描きだけされとうみたいなんですけど、色はいつ入れるとですか?」

 

「ああ、そげなことね✌✍」

 

 現在中原は、鉛筆だけで孝治の裸身と風景を描き現わしていた。従って画用紙上の絵は、全体的にモノクロの状態だった。

 

(そう言えばそうやったねぇ……★)

 

 今にして孝治は思い起こし、声に出さないようにしてつぶやいた(出したらしばかれる⚠)。確かに取蜂の肖像画を即行で描いたときも、中原は鉛筆による下描きだけを行なっていた。

 

「絵の具っとかの本格的な画材道具ば未来亭に置いてきたもんやけ、ここでは下描きだけにしておくったい✍ やけんあとは帰ってから、ゆっくり別の用紙に色ば着けた絵ば描くつもりなんばい✎✐✒」

 

「そげん風にやるんですねぇ♐」

 

 中原の親切な説明に、友美がうなずいたときだった。孝治はつい、頭がふらぁ〜〜っとした気になった。そのため体全体も、ふわりと揺れたかのようだった。どうやら軽いめまいを起こしたようだ。

 

「くぉらぁーーっ! 動くなっちゅうとろうがぁーーっ!」

 

 とたんに神業的連投術で、中原から石を投げつけられた。孝治の足元に、バシャバシャァァァンッと、派手な水しぶきが舞い上がった。

 

「うわっち! うわっち! もう勘弁してほしかっちゃあーーっ!」

 

(こん人もやっぱ……なんとかと紙一重っちゃねぇ!)

 

 悲鳴を上げながらも孝治は、やはり口では言えないつぶやきを、ここでもジッと我慢の子になって、胸の中へと仕舞い込んだ。それからふと見れば――一時的だが完全に存在を忘れていた徹哉が、ジッと体操座りの姿勢で、静かに写生風景を眺め続けていた。

 

 孝治はついでに考えた。

 

(あいつかて……別ん意味でふつうやなかばい☠)


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