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『剣遊記]』

第二章 薔薇と愛妻に秘密。

     (8)

「このあいさ(長野弁で『この間』)、ひさしぶりに手紙さ送っただけで、もうあたしさ訪ねてここまで来るなんて……よっぽどあたしに会いたかったんずらかぁ♡」

 

 うれしさに満ちた女魔術師――可奈の言葉に応えるかのようだった。カモシカこと美香とやらが、可奈の顔をペロペロと舐めまくった。それこそまるで、思いっきり飼い主に馴れている大型犬のようにして。

 

「きゃっ♡ 美香ったら、やめるだぁ♡♡」

 

 どうやらこれは、なつかしい者同士の感動的再会の場面であるらしかった。そんなところへわざわざ水を差すわけでもないだろうが、由香がカモシカに抱きついている可奈に尋ねてみた。

 

「ちきっと可奈さん、このニホンカモシカさん、あなたのお知り合いのようなんですけど、少し説明してくれませんか?」

 

 いつもであればこのような場合、可奈は不精な答え方しかしないはずだった。ところがきょうに限って、なつかしい友達と再会した喜びのためか。ふだんとは段違いに、可奈は御機嫌良好の様子でいた。

 

「いいずら♡ このカモシカの娘っ子、あたしの幼なじみで親友だにぃ♡」

 

 定番であれば絶対にお目にかかれない、まさに明るい笑顔であった。

 

「見てのとおりのライカンスロープなんだけどぉ、名前は三萩野美香{みはぎの みか}って言うんだにぃ♡ あたしとおんなじ長野県の生まれずらぁ♡」

 

「へぇ〜〜、長野から来たんけぇ✈ 女ん子ひとりで、よう九州まで来れたもんばいねぇ〜〜✈」

 

 端で聞いていた孝治は、思わず周囲に向けてささやいた。これに可奈が、もっと驚く発言をしてくれた。

 

「確かにあたしもできぃない(長野弁で『無理』)思うとっただにぃ☢ おかけにたぶん、美香さずっとこん格好で、長野からここまで来たんずらぁ☀」

 

「…………♋」

 

 一時的だが、孝治絶句。このあと、可奈の言葉に対する反応を出せた場面は、深呼吸を都合三回終えてからだった。

 

「……ちょ、ちょっと待ってや! するとこの美香って子は、カモシカに変身したまんまで長野から九州まで来たっち言うと! まさか、そげなことって……☆★☆」

 

「さけぇあたしもビックリしてるって言うただにぃ☀」

 

 美香の偉業は孝治と可奈だけではなく、居並ぶ給仕係の一同をも驚かせた。

 

「きゃっ! それって凄かばぁ〜〜い!」

 

「あたしかて信じられんぞなぁ!」

 

 今のは香月登志子{かつき としこ}と桂の言葉。

 

 この日本。道路の状態はあちこちで悪く、また馬車の乗り心地も最悪。従ってどのような遠征の場合でも、ふつうは乗馬のみ――もしくは徒歩が通行の基本原則となっていた。この傾向は、たとえどのように偉い人でも平民でも変わりはなかった。当然ライカンスロープでも、ふだんは人の二本足で旅を行なう場合が相場である。

 

 ところが可奈の親友である三萩野美香とやらは、その常識を見事に覆したらしいのだ。それもニホンカモシカに変身したままで、中部日本から遠路はるばると九州まで、長い長ぁ〜〜い旅をしてきたと言う。

 

「ねえ、どげんして美香さんは、そげな無茶んこつしとるとですか? 途中で猟師から本モンの獣っち思われる危険かてあったかもしれんとに……そりゃニホンカモシカは特別天然記念物なんやけどねぇ……☁」

 

 友美のこの問いにも、可奈は頭を横に振って応じるだけだった。

 

「それが……あたしにも理解さできねえんだども……美香はちっちぇーころから人でいるよりカモシカでおったほうが、ずっと好きどうだったんずらぁ……まるで自分さ人じゃのうて、本モンのカモシカじゃと思うてる風もあったんだにぃ……☂」

 

『ほんと☆ 世の中いろいろっちゃねぇ♡ あたしまた、ひとつ勉強になっちゃったばい♡』

 

「しっ!」

 

 涼子の何気なさそうなささやきを、孝治は右手人差し指を口の前に立てて止めさせた。わかっちゃいるのだが、やはり習性というもので。


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