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『剣遊記]』

第二章 薔薇と愛妻の秘密。

     (20)

 幽霊の涼子など、先ほどから美香の目の前に立っていた。もちろん目的はジロジロと舐めるようにして、美香の全身を頭から足のつま先まで眺めることにあった。

 

『ふぅ〜ん♡ こげんしてよう近くで見たら、やっぱニホンカモシカの面影いっぱいあるっちゃねぇ♡ 特に髪ん色っとか、よう見たら黒にカモシカの毛の灰褐色が混ざっちょう感じやけねぇ♡』

 

 この実に失礼極まる品定めも、美香に自分の姿を見せないからこその芸当であろう。美香がそんな涼子の幽体を知らずに前へと通り抜け、可奈に寄って、こそこそとなにやら耳打ちをした。

 

「どうしたんずら、美香……ええっ! なんだぁ!」

 

「彼女、なん話したとや?」

 

 変に思った孝治は、可奈に尋ねてみた。これに可奈が、困ったずらぁ――の顔で答えてくれた。

 

「美香が、今度のあたしの仕事さについてきたいって言うずらよぉ☹ ひとりでお店で待ってるのがにすい(長野弁で『情けない』)ほど怖いって言うんだにぃ……☁」

 

「うわっちぃ〜〜☂ そりゃほんなこつ困るっちゃねぇ〜〜☂」

 

 孝治も眉間にシワの寄る気持ちとなった。

 

「ええね、美香ちゃん♐」

 

 すぐに説得のつもりで、孝治はまっすぐカモシカ少女――美香の両肩に手を置いた。それから彼女の実に純粋無垢そうな瞳に向け、先輩気分で言ってやった。

 

「おれたちの仕事は遊びやなかけんね☹ ときには怪物と戦わんといけんし、悪の魔術師や山賊ば退治せんといけんこともあるとやけ♐」

 

「それって、あたしに対する当てつけずら?☠」

 

 どうやら今でも、昔の前科を自覚していたようだ。そんな元山賊首領――可奈の横目など、ここでは知らぬふり。孝治は続けた。

 

「やけん美香ちゃんはここでおとなしゅう、給仕の仕事に励むっちゃよ⛑ 由香たちがいじめんよう、おれからもよう言っておくっちゃけ⛔」

 

 孝治としては、これでも精いっぱいのつもりの誠意で、話し聞かせたつもりでいた。あとで由香たちが知ったら、メチャクチャ怒るっちゃろうねぇ――と思いつつ。しかし美香の瞳にじわわぁぁぁぁぁ……っと、静かに涙がにじんできた。これを見た孝治は、早くも呆気なく、さっさとサジを投げる気分になった。

 

「おれじゃ駄目ばい☠ やけん、誰か代わりに説明しちゃってや☃」

 

「美香がえぼつったら、もうしょうがないずらねぇ✄ ぞざえさせる(長野弁で『甘えさせる』)ようだども、安全はあたしが責任持つだにぃ、今回だけいっしょに連れてくのを認めてほしいずらね✐」

 

 ここでさすがに可奈は、幼なじみとの付き合いが長い分、最初から説得の努力を放棄している感があった。実際このような話の展開ともなれば、なにがなんでも同行を拒む理由など、もはや誰にもない結果となるもの。

 

「わかったっちゃよ☂ ただし本っ当に見学だけやけね☠」

 

 孝治は肩をすくめて両手の手の平を上に向け、同行承諾を態度で示してやった。その次の瞬間、美香の顔が喜びで満ちあふれんばかりとなった。このあと美香がなにかお礼の言葉でも述べるのかと、孝治は思った。しかし、予想は外れた。

 

「えっ? なんね……?」

 

 美香は可奈の右の耳に口を当て、こそこそとなにかをささやくだけでいた。

 

「美香ちゃん、なん言いよんですか?」

 

 これに友美が尋ねると、可奈がここでもまた、実に申し訳なさそうな顔で答えてくれた。人も変われば変わるものである。

 

「美香が『おかたしけぇ(長野弁で『ありがとう』)って言ってるだにぃ♠」

 

「ちゃんと自分の口で言ってほしかっちゃねぇ☠」

 

 カモシカ少女――美香の極端な小心ぶりに、孝治は早くも降参気分となっていた。


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