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『剣遊記15』

第五章 暗雲めぐる太平洋。

     (16)

「ん……うう……☁」

 

 美奈子が意外なほどにおとなしく退場し、秋恵もいまだ気絶状態のまま。そんな最中だった。知らぬが仏で騒動の間中熟睡していた蟹礼座が、いきなり小さなうめき声を洩らした。

 

『あら? 病人が目ぇ覚ましたっちゃよ♐』

 

 初めに気づいた者は涼子だった。友美は気絶中である秋恵を、床の上に敷いた緑の毛布に寝かせて介抱中。孝治はそんな秋恵を気遣いしつつ、蟹礼座の顔を少々の失礼は承知のうえで、真上からそっと覗き込んだ。

 

「目が覚めたようですっちゃね♤ で、船酔いの具合いはどげんですか?」

 

「あ、ああ……☁」

 

 ベッドから上半身だけ起き上がったものの、蟹礼座はまだまだ、口があまり回っていない感じでいた。

 

「無理ばせんでもよかですっちゃよ☀ まだあんた、体が完全に回復しちょらんのやけ☢ それよかねぇ……☁」

 

 孝治の言いたい質問は、次の要件で満ちていた。これは蟹礼座が船酔いから全快したときに尋ねようとも考えていたのだが、とりあえずは前哨戦みたいな気持ちでもって。

 

「ただ訊きたいっちゃけど、船乗りばしようあんたが船酔いばするなんち、ほんなこつ鬼の霍乱{かくらん}、河童{かっぱ}の川流れみたいなもんばいねぇ☻ たまにはあんたみたいな海のプロであったかて、こげなことがあるもんなんやねぇ☹☻」

 

「……面目ねえのぉ……☁☹」

 

 蟹礼座が半分起きた状態のままの格好で、孝治に答えてくれた。一応、しゃべる力も回復したようである。

 

「言い訳するのもなんじゃが、ここんとこ陸での仕事が多かったけのぉ ひさしぶりの長い航海に、体がまだまだ順応しとらんようじゃ

 

「そげんですけぇ……

 

 一応口にも顔にも出さないよう注意をしているのだが、孝治は蟹礼座の返答に、なんだか腑に落ちないなにかを感じた。

 

(人の体っちそげん、あっと言う間に退化するもんなんやろっかねぇ? 前に話ば聞いたことあるっちゃけど、病気で何箇月も入院した船乗りの人かて、すぐに現場復帰で乗船できるっち言いよったけどねぇ☁)


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