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『剣遊記W』

第六章 悪徳酒場の大乱闘。

     (17)

「……そげん言えばぁ……

 

 生臭さは孝治も感じていた。それもつい最近嗅いだ覚えのあるような強烈な臭いが、この部屋には充満していた。

 

「……なんか……知ってるような臭いっちゃけどぉ……☹」

 

 孝治の脳内で、臭いの要因に対する記憶が再構築され、やがてひとつの結論となった。

 

 孝治は叫んだ。

 

「うわっち! ワ、ワイバーンばぁーーい!」

 

『孝治っ! 真うしろ!』

 

「うわっち!」

 

 涼子の声に誘導されるまま、孝治はうしろへ振り返った。それから今回は、身長の三倍近くまで飛び上がった。どうでもよい話だが、またもや記録の更新だった。それよりも小部屋かと思っていた室内は、実は大きな倉庫になっていた。その倉庫の中に、荷車に縛り付けられているワイバーンが保管されていたのだ。

 

 孝治たちが捕獲したときの姿、そのままで。つまり全身、鎖で雁字がらめの状態。両目の目隠しも変わってなし。口にもしっかりと、綱でグルグル巻きにくくり付けていた。

 

『こげなとこにおったんやねぇ☜』

 

 怖いもの知らずの涼子がワイバーンに近づいて、憐れみを込めた感じでささやいた。孝治もその恐ろしいツラ構えの頭部に、そっと寄ってみた。そこで規則正しい呼吸を感じた。しかも幸い、ただ今睡眠中のようである。

 

「……ま、まだ生きとうみたいやねぇ……良かったぁ……♥」

 

 なにがいったい『良かった♥』のか。それは孝治自身にもわからなかった。それでも推察は、ある程度可能だった。

 

「……連中もワイバーンば殺さんで置いとったんやねぇ☻ 大方、生かしといたほうが高こう売れるっち見込んだっちゅうとこやろっか✍」

 

 見るも哀れな幽閉状態となっているワイバーンを前にして、孝治はそのように推測した。ついでにひとつの悪だくみが、同じ脳内に浮かび上がった。

 

「……こげんなったら、ヤケッパチってことで……✌」

 

『ヤケッパチ? まさか、孝治……✄』

 

 涼子の眉間に、シワが寄っていた。これに孝治は、簡潔に答えてやった。自分の危ない考えを。

 

「そん『まさか✌』ったい! このワイバーンば逃がして、騒ぎばもっと大きゅうしてやると✌」

 

『それって、すっごう過激な思考やないと? ……あっ! 孝治!』

 

 孝治自身も自覚しているあまりの凶悪ぶりに、涼子でさえも尻ごみをする様子っぷり。だがそれよりも、孝治の決断と行動は早かった。

 

『あ……外しちゃった☠』

 

 涼子が見ている前で、孝治はワイバーンを荷車に縛り付けている鎖を、片っぱしから手作業で解放していった。

 

 一応ワイバーンが眠りから覚めないよう、静かに。慎重に。

 

 最後に口を拘束している綱を解いて、すべての作業は完了。孝治は額に流れる汗を、右手でぬぐった。

 

「これでよかっちゃね♪ あとはワイバーンが勝手に目ぇ覚ましゃええことやけ♡ そん前におれたちは退散やね♥」

 

 そんなところで、例によってのごとく――である。

 

「こんなとこに隠れとったんかぁーーっ!」

 

 用心棒どもが雪崩のように、倉庫の中へ押し駆けてきた。

 

「うわっち! もうちょいやったのにぃ!」

 

 孝治はくやしまぎれで歯ぎしりした。だが、これで良かったのだ。

 

「ひ、ひえええっ! この女子{おなご}、とんでもねえわりことしやがったぁーーっ!」

 

 用心棒のひとりが、いきなり腰を抜かして床に尻餅をついた。

 

「うわっち?」

 

 孝治も「なんね?」と思い、うしろに振り返った。

 

「うわっちぃーーっ!」

 

 当然孝治も腰を抜かして、床に尻餅をついてしまった。その理由は簡単。たった今、鎖を外して自由の身にしてやったワイバーンが、長い首を高く持ち上げ、激しく吼えたからだ。


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