『剣遊記W』 第六章 悪徳酒場の大乱闘。 (14) 無論店長に、涼子の姿が見えるはずなどなかった。店長はそのまま涼子の幽体をドシドシと通り抜け、脇目も振らずに楽屋へと押し入った。
『もう! あたしんこと、無視してからぁ!』
こればっかりは幽霊が怒っても、仕方のない話である。おまけにこの光景に気づいている者は、友美だけ。裕志はキョトンとした顔付きのままだった。
「あ、あれぇ……店長さんやなかですかぁ……?」
事態がまるでわかっていない、とぼけた口振りも健在。しかし友美は、店長の眉間に血管が浮き出ている様子が、よくわかっていた。
「裕志くん! ちょっと変ばい!」
しかし友美のせっかくである忠告も、裕志にはまったく通じなかった。あげくは不用意にも、裕志のほうから店長に事情を尋ねる始末。
「あ、あのぉ……ぼくたちになんか御用ですか?」
「邪魔ぜよぉ! どけえ!」
店長の怒声とともに、裕志は左のほっぺを、いきなりボガッと右手のパンチで強打された。おかげで体重の軽い裕志(58kg)が、部屋の隅まで吹っ飛ばされた。
「きゃあーーっ! 裕志くーーん!」
突然の暴行傷害で、友美は高い悲鳴を上げた。ちなみに裕志のような小心者は生まれてからきょうまで、まともなケンカをした経験が、一度もないもの。従って、殴られ慣れているはず(?)はなし。受け身がとてもヘタとも言えた。
けっきょく店長の奇襲的一撃を喰らった裕志は、簡単に床の上でのびてしまった。これでどうやら、邪魔者(裕志)を片付けたのだろう。
「来いぜよ!」
店長が右手で、友美の左腕を強引につかみ取った。それこそ力の加減などまったくなしの、情け容赦もなし。
「きゃあーーっ!」
「うるせえっ!」
友美を捕まえて、サディスト意識が目覚めたのだろうか。店長が誰からも訊かれていないのに、勝手に友美をさらう理由をしゃべってくれた。
「おまんはあのじゃじゃ馬女とサングラスとぶる仲間やけ、人質にさせてもらうぜよ! だから最後まで俺に付き合え!」
「じゃじゃ馬っち、孝治んこつ?」
すぐにピンとくるところが、なんだか笑っちゃう感じがする。しかし店長の捨てゼリフで、友美は事態の状況が、ある程度推察できたりした。
(やっぱり孝治たちが原因っちゃね。もう! わたしにもちゃーっと言うてくれたら、それなりに逃げる準備ばしとったとにぃ!)
しかし今となっては、すべてが手遅れ。もちろん友美をさらって店長が逃げようとする状況を、涼子が黙って見逃すはずがない。
『ちょっとぉ! 友美ちゃんばどげんするつもりぃ!』
自分の声が聞こえない設定もお構いなし。涼子は大声を張り上げた。それから得意のポルターガイストを発動! ガラガラガラガラッと、楽屋中の机や小型テーブルや窓枠が、激しい振動を開始。天井から埃の塊が、ドサドサと舞い落ちた。
これでは床でのびている裕志にとって、実に大迷惑な話。だけど肝心要{かなめ}のターゲットである店長は、揺れる室内に振り返りもしなかった。それどころかそのまま、友美といっしょ。さっさと楽屋から立ち去った。
『ああっ! ちょっと待ちなさいよぉーーっ!』
恐怖のポルターガイストも、無視されたらそれまでの話。
『もう! 馬鹿ぁーーっ!』
「うわっち! 馬鹿っちなんね! 馬鹿っち!」
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