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『剣遊記W』

第一章  流れ着いた男たち。

     (4)

 観客席の歓声が一段と高まり、興奮の度合いが頂点にまで達していた。

 

 その光景を貴賓席に鎮座する黒崎は、終始冷静な姿勢で見つめ続けていた。

 

しかし、横目で彼をにらんでいる紅梅は違っていた。その理由は、ある意味において屈折しているおのれの本音を大声で叫びたい衝動に、先ほどからずっと、必死に耐え続けているからだ。

 

(若園ぉ! なにがなんでも勝つっちゃぞぉ! 貴様は大金ばはたいてわしが買ってやったんやけなぁ!)

 

 そんな周囲の思惑の中、ふたりの選手が、闘技場の中央でにらみ合っていた。

 

 帆柱は文字どおりの人馬一体。従って身がひとつの分、かなりの有利と言えそうだ。ところが若園も巧みな馬術で、軍用馬を意のままに操っていた。

 

 帝都大会での名声は、決して伊達ではなさそうだ。

 

「お宅の帆柱君も、ここ北九州では連勝しちょりますけど、しょせんは地方の『井の中の蛙{かわず}』ではなかですかな? 私といたしましては、たまには遠方に修行に出されることも、老婆心ながらお勧めいたしますぞ

 

 年甲斐もなく――と言うよりも大人げない態度で、紅梅が厭味ったらしくささやいた。だけど黒崎に動じる様子は、まったくなし。

 

「そのお言葉、真に感謝いたしますがや。ただ帆柱君はキャラバン護衛依頼の声が多くて、なかなか鍛錬の機会を与えられないのが実情でして。本人は実戦経験が豊かになると申しているのですが、店長としてはいたらぬばかりでして」

 

 黒崎の言い方は、やや謙遜調であった。しかし要するに、戦い慣れは帆柱が上だと称しているわけである。そこのところは紅梅も、決して鈍感な性格ではない。黒崎の真意をすぐに悟って、眉間に血管を浮き上がらせた。


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