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『剣遊記]』

第一章  闇より迫る緑の影。

     (1)

 

 

 ゴトッ

 

 

 たったこれだけのわずかな物音で、穴生律子{あのう りつこ}が深いはずの眠りから瞳{め}を覚ました時刻は、草木も眠る丑三つ時。

 

「……だ、誰ね?」

 

 すぐに律子はベッドから跳ね起き、枕元に置いてあった角燈{ランタン}に、マッチでポッと火を灯した。

 

 その淡い光が照らす寝室にいる者は、律子自身と、まだ赤ん坊である愛娘の祭子{さいこ}のふたりのみ。夫の和布刈秀正{めかり ひでまさ}(注 この世界では夫婦別姓がふつうなのです✍)は、遠方での仕事で出張中。一応あした、帰る予定となっていた。

 

 ちなみに律子、秀正の夫婦はともに、ベテランの盗賊。そのために秀正が腕を買われての遺跡発掘調査など、お呼びが引きも切らない毎日が続いていた。

 

 おまけに初めてである我が娘の誕生も相まって、秀正の張り切りようは尋常ではなし。とにかく入る仕事すべてを断らず、完ぺきに引き受ける日々であった。

 

 だけど、夫君の不在にはだいたい慣れたとはいえ、夜の淋しさだけは、律子に我慢ができるはずはなかった。

 

「……確か……玄関から聞こえたばいねぇ……

 

 心細さを言葉に変え、律子は思い切って、様子を探ることにした。このとき彼女自身はまったく意識をしていないが、寝室の壁に架けてある合わせ鏡に写っている律子の長い髪が角燈に照らされ、見事な緑色に輝いていた。

 

 律子は寝室から出る直前、右手で持った角燈で、瞳{め}が覚めないようにして愛娘――祭子の寝顔を照らしてみた。

 

 秀正と律子の良い面(つまり自慢したい部分)を混合させたような、愛くるしい安らかな天使の寝顔を。

 

 また、母親と同じ緑の髪である長女を。

 

「……ちきっと待っとってや✋ すぐ戻ってくるんやけね♡」

 

 律子は小さくつぶやいて、寝室をあとにした。


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